島田紳助が本当に嫌いで、世の中の人もほとんどがそうだと思っていたが、地元の友人は普通に、さんまさんより好きだったという。
こちらとしては、全くの他人なのに、この人がテレビから消え去ったときは嫌な上司が辞めた時と同じ爽快感を得ることができた。
これからはもうテレビの向こう側に現れないので、自由に色々なチャンネルを、好きなタイミングでまわすことができるのだ、最後に答えるときにわざわざヘキサゴン!と叫ばなくてもいいのだと、以前よりテレビを好きになれた。
あのしゃくれを忘れかけていた頃、2chまとめの「哲学ニュース」に、ダウンタウンと同級生の放送作家・高須光聖の発言について議論している記事があり、その中でこういうレスがあった。
以上のレスの「紳竜の研究」というビデオ、これが非常に気になり、ちょっと買おうかとも思ったが、安い状態のAmazon価格で五千円、自分は紳助にそんなに払えないし、与沢翼をモデルにしたマンガ・ウシジマくんを読んだばかりで、講義に金を払うのに抵抗があったので、Youtubeで探した。
すると色々なアップ元から色々な題名で、断片的に5,6分ほどの映像がいくつか上がっており、それらをおそらくこういう順番だろうと、試行錯誤しながら繋げると、一時間ほどの映像になった。そしてこれを通して見ると、今まで大嫌いだった靴べらが、とてもすばらしい人物に見えてきてしまった。Youtubeにもあるし、紳助だし、標準語で書き起こそうと思うのだった。
2007年(大阪29期)に行われた講義で、以降NSCから有名人はまだ出てない。
1.5×5
今日は緊張している。NSCで講義をするのは25年ぶりだから。有名な話だが、当時1期生の前で自分と明石家さんまとオール巨人が、それぞれ講義をしたが、その後たまたま3人が会った時に「どうやった?」と聞いたら「1組だけやな」と口を揃えた。それがどういうヤツだったかという事を話さぬとも、全員、それがダウンタウンであることが認識できた。世の中、どんな仕事も才能である。
才能は0~5まで、6段階あると思う。努力も0~5まである。才能5の人間が5の努力をすれば、5×5=25で最高点の結果が出る。みんな、5の努力をしたつもりでも、それは間違った努力なのではないか。
阪神タイガースの掛布とよく話すので、野球の話になるが、プロ野球選手は日に五百回素振りをしている。それ自体は努力とは言えない。全員がしていることだからである。
では「ピッチャーがどういう風に投げた何球目の球を打ち返しているか」ということを想像しているだろうか。想像せずにバットを振っているだけでは、腕が太くなるだけである。ただの筋トレに過ぎない。
努力の段階とは、意識の持ち方である。
2.漫才師の筋肉
若手を見て脅威を感じることはあるかと聞かれることがあるが、さんまも同じで、全く無い。アホかと、何を練習しているのだと思っている。ずっと無駄な筋トレをしている人たちにしか見えない。
日本代表の体操選手と会った事があるが、すごい身体をしている。しかし彼らは、他のスポーツは下手である。体操だけの筋肉がついていて、それ以外の筋肉がついてないから。我々お笑いタレントも、そうでないといけない。
ボクサーは3時間以上練習をするとオーバーワークになってしまう。漫才師もボクサーと同じく、たくさん練習してはいけない。自分なりにネタを繰り返して上手くなったと、気持ちよくなっているかもしれないが、それはただしゃべるセリフに慣れただけである。もっと基礎的な、根本的なところの練習を積まなければならない。
基礎的な笑いの技術とは、音感・リズム感である。歌のオンチと喋るオンチがあり、自分は歌の音程が外れても、どこが外れているのかさえわからない。歌同様、喋りはキーである。喋りの下手な人間は喋りながら音を探してしまうが、才能のある人間は、歌がうまい人間と同じく、初めから音がブレない。
コンビのリズム感の練習は、稽古場でしてはならない。稽古場に合うネタもあるが、リズム感を付けるには歩きながら練習せねばならない。二人で、小さい声でいいので、歩きながらネタのような話をしてみる。ゆっくり歩くとゆっくりしゃべり、早足になると早口になる。歩いているリズムがしゃべるリズムになる。
そうして探りながら、二人の基本ベースのテンポを見つける。4ビートか8ビートか、自分たちのリズムが体に入るまでやり続ける。それが染み付いて初めて次の練習にいける。
3.才能が無いなら辞める
99%の人間が結果に満足できない。才能が無いのに10年も続けてはならない。
ただ、努力を5までせずに辞めたら意味が無い。いい加減な人間は2,3までしか努力できない。努力を5にする方法を覚えた人間は、他の世界でも成功できる。
その自分の理論を立証するために、自分の弟子で、才能は1しか無いが、5の努力ができる野呂祐介に店を持たせた。そして成功した。成功したら二店舗目を出せば儲かるが、そうはせず、新しい企画の別の店を考え、開店している。金でなく証明のためにやっている事なので、出資はするがバックはもらってない。
また、その理論と、「自分はどの分野でも成功できる人間である」ということを自分の中で証明させるために、店を出している。
自分で漫才の教科書を製作して「島田紳助」また「紳助・竜介」を売ったのと、店を売るのは、全く同じノウハウである。
可能なら、もう一度新しい顔と名前で、芸能界で成功することができるか試したい。自分がたまたま売れた訳では無いという事を、自分自身に向けて証明したい。それができないので、店という形にしている。オープンするまでが自分の作品であり、オープン後は一切口を出さない。
この講義を聞いている50人の生徒と一人一人話すことができるならば、ネタの話はしない。どうやって世に出て行くかという作戦を話し合う。それに従えば、2,3組世に出られると思う。
自分はコンビを組むのに時間がかかった。仲の良い友達と組むものではない。
何をしたら売れるのか、どうしたら世に出られるのかを考え、「この形の漫才をやれば絶対に売れる」という発想に従い、失礼だが、それに必要な相方を探した。始め先輩と組んだが、合わず、渡米すると嘘をついて逃げた。次に、なんばグランド花月の進行の司会者を相方にしたが、自分の演出の細かさに耐えられず、3週間後に逃げられた。さんまからの「根性あるヤツがおる」という紹介で、松本竜介に出会った。
竜介とは、初舞台が近づくまで漫才の稽古は一切せずに、自作の漫才の教科書で理論の授業をした。「これからは何が売れるのか、自分たちはどう売れるのか。できなくてもいいから、自分が何をしようとしているのかを理解してくれ」と。
まずは自分でも恥ずかしくなるようなベタな漫才から始め、お客さんが見えるようになってきて、次の段階へ行った。
次は会社を説得し、コンビを組んですぐにNHK上方漫才コンテストに出場した。決勝8組に残ったが、自分の中では残って当然だった。先輩も居たが「こんなカス相手に負けるわけ無い」と思っていた。しかし結果は3位であり、頭が真っ白になった。表彰式で花束を投げつけ怒鳴り、そこから30年、大阪NHKから仕事が無い。
5.一番後ろにいる人を笑わせろ
その後、まだ若手で社内での立場は弱いのに、仕事をすっぽかすようになった。会社からすれば、キャラ同様ヤンチャで不良だからすっぽかしていると思っていただろうが、それは違い、勝てない現場だから行かなかったのである。中途半端な出来の漫才しか無く、現場に行けば負けが判明する。引き分けるには現場に行かないべきだと判断した。
また、午前開演の舞台で、客席に居るおばあちゃん相手に演じても、自分たちの漫才をわかる訳がないので無駄だと思い、わざと聞こえない音量で演じたり、すぐに終わらせたりしていた。10日間の出番21回のうち、真剣にやっていたのは3回ほどだ。
いけないことだが、なぜそんな事をしていたかと言うと、ターゲットを20~35歳の男のみに絞っていたからである。自分に一番近い存在を狙うのが、一番簡単だからである。
今は細分化されているが、当時は子供から老人まで笑わせねばならないというのが漫才の定義で、そう教育されていた。そんな中ひとりで、漫才は今後、音楽同様細分化されると読んでいた。
売れ出すと、劇場にキャーキャーと女の子が来るが、これがダメにしていく。彼女たちは人気を作ってくれるのですごく必要であるが、邪魔だ。彼女たちを笑わせるのは楽なので、彼女たちを笑わそうとしてしまう。そうすれば全て終わってしまう。TVでも、目の前のお客さんではなくカメラの奥のコタツで見ているお兄ちゃんを笑わそうとしていた。目の前の彼女たちが笑えば笑うほど、一番後ろにいる人たちからは「お前ら、文化祭で身内だけで集まってやっとけ」と思われるのである。
6.自分ができる笑い、X
自分たちが誰を笑わせるのか、どういう漫才を作るのかが一番初めに必要である。
笑いのパターン、才能、おもしろいと感じるものは、人それぞれ違う。分析をすれば色々な笑いがあることがわかる。
自分がおもしろいと思うものの中でも「自分にはできないもの」と「自分にもできるもの」がある。「自分にはできないもの」は諦める。だからと言って、「自分にもできるもの」の方は、既にその人が居るので、その漫才師には勝てない。なので、自分の才能に近いパターンを、一組の漫才師だけでなく、いくつか探す。自分が普段友達を笑わせているときと同じパターンで笑いをとっている漫才師を、何組か見つける。
自分はB&Bの島田洋七さんをコピーした。周りは気付いてなかったが、本人からは「パクるな」と言われた。しかし「ネタはパクってない。システムをパクっただけです」と返した。
大学を辞めて洋七さんの師匠を調べ、島田一門に入門し、メカニズムを探るために、いつも一緒について歩いた。なぜパクったかというと、怒られるが、絶対に勝てると思ったから。なぜなら二十歳ぐらいの時に、洋七さんの欠点を見抜いた。
B&Bのネタはブームから30年経っても笑いをとっているが、洋七さん本人がおもしろいとは思えない。それが欠点である。本人自身がおもしろい人間と思われないと、キツイ。
絶えずネタがおもしろいと問題ないが、歌手と同じで、いい曲、いいネタに出会えるのは何年かに1回である。
洋七さんは類を見ない才能と、漫才の知識と観察眼があって、今でも尊敬している。漫才を習うならこの人だ。
7.XとY
その「自分にできること」の勉強と、もう一つ勉強せねばならぬことがある。
30年前に漫才ブームがあった。そこから現在までの漫才は、全て記録媒体として残っている。もっと前のものも残っている。それらを全て聞き、どう変わってきたか、何が変わってないかを徹底的に調べるのだ。
Xというのは自分の戦力、自分にどんな笑いができるか。Yは世の中の笑いの流れ。笑いは常に、時代によって変化している。それらを研究して、XとYを理解し、そこで初めて「俺は何をしよう、どうしたら売れるのか、どんな笑いを作ろう」と悩み始めるべきだ。悩んでいる人は、XもYもわからず悩んでいる人ばかりである。
よく「新しい笑いをやりたい、どうすればいいか」と相談を受ける。バカかと思っている。
自分が相談相手に換わって、一年考えれば、答えは出ずとも公式だけは作れる。だが、自分は相談相手ではないので、Xがわからない。
Yは、今は漫才師ではないので、半年ほど時間をくれたら考え出せると思う。笑いが今日までどう変わってきたか、これから5年後、10年後、どう変化していくか。しかしXは、どうしても本人にしかわからない。この公式は自分自身にしか作れない。
「おもしろいことを考えよう、新しいことをやろう」という考えから始めて売れるのは、絶対に無理である。たまたま売れることがあるが、絶対につぶれる。なぜかと言うと、式が無い答え、テストでたまたま書いた数字に丸がついただけの答えなので、そこに何の根拠もないからである。そんなヤツは、Yの動きについていけないので一発屋になる。
XとYが車とすると、一発屋XはたまたまYにガツンと出会い頭で当たった大事故である。大事故はインパクトがある。でも2,3年するとYの動きとはズレる。修正が効かない。
さんまだって、頭の中にこれが入っている。長く売れている人は、世の中に自分を合わせているのだ。だから出会い頭に激突するような大事故にはならないが、接触事故ばかりを起こして売れ続けている。
この公式は絶対的なもの。この生徒の中で、何人が自分のXをわかり、何人がYを正しく分析できるか、全員は無理だと思う。何人かが、XとYを見つけることができるだろう。売れた人間は当たり前のように、これが心の中に入っている。Yを見つけても仲間には言うな。聞かれても「わからない」と嘘をつけ。地元に帰れば友達は居る。ここには友達を作りに来た訳ではない、勝ちに来たのだ。
7.漫才の教科書
漫才に教科書は無いので、18歳でこの世界に入ったとき、まずは教科書を作ろうと思った。教科書が無いのに勉強はできない。
自分がやった方法は、自分がおもしろいと思った漫才、自分の感覚に一番近い漫才を、カセットテープに録音した。そしてものすごく時間はかかるが、それらを全て、タイムコード含め紙に書いた。何度テープを聞いても、紙に書かなければ意味が無い。その紙に書かれた漫才をバラバラにして、分析していく。オチに入ろうとすると急に文字数が少なくなっていたり、紙に書くと違いがよくわかる。
その中で気付いた、名人と人気ある若手との差は、1分間の中の間(ツッコミのセリフとボケのセリフのあいだの無音)の数の違いである。
名人は60秒間に20箇所ほども間がある。10年、20年漫才をしているのだから、間の取り方は上手いに決まっている。我々も1分毎に20回も間を成功させなければならないのか。否、間の数など、見ている人は気にしていない。おもしろいか、おもしろくないかしか見ていないのだ。上手いと思われる必要は無い。下手でいいのである。
B&B、ツービート、紳助・竜介に共通した部分、それは間の数が少ないという事である。自分たちは60秒間に8箇所しか間が無い。そうすれば重要事項である「間の取り方」で失敗する率が少なくなるから、間を減らしたのだ。そしてボケが圧倒的に喋り続けるので、リズムが作りやすい。技術的には下手だが、お客さんはわからない。
また、海原千里・万里さん(千里は上沼恵美子)は高校生時代からスターだったが、なぜ高校生のくせにこんなにもおもしろいのか、やはり客席の一番前でテープを忍ばせ録音し、分析した。
結果、数あるネタの8割はフォークボールを投げており、2割はベタなストレートの漫才だった。彼女たちは、フォークボールをキレよく見せるため、飽きさせないため、ストレートの2割でお客さんの目をくらませていたのだと気付いた。
自分は本も読まず、映画も見ない。あんなものは役に立たない。それで得た知識は自己満足でしかない。クイズ番組では役に立つかもしれないが、それだけの得である。
しゃべり手は一般人と覚える場所が違う。脳では無く心で記憶するのだ。今日自分がしゃべったことも強く納得したと思うので、心に残ったと思う。心で記憶したことは、残念ながら一生忘れない。
高校で覚えた授業内容は忘れているが、高校生活の何気ない会話は、なぜか鮮明に覚えている。それは、授業は脳で記憶し、覚えている友人との会話は心で記憶しているからである。
テスト中は「記憶したものはどこだったかな」と、脳の中の引き出しを時間をかけて探し出すが、心の記憶の引き出しは、探す必要が無い。当時と同じ感情になったときに、勝手に引き出しが開くのだ。
「行列のできる法律相談所」でも、何も考えずにスタジオに行っている。
台本を見て「高校時代の腹のたったエピソード」とあったとしても、楽屋では思い出せないので、考えない。スタジオで他の出演者のエピソードを聞くと、年代は違うが、自分も同じ高校時代に感情がタイムスリップできる。すると引き出しが3~5個、バンバンと開きだすのだ。その中から、その時に一番合うエピソードを一つチョイスしてしゃべっている。
「心で記憶できるか」も才能であり、感情の起伏が激しくないとできない。
例えば自分のバーのステージでシンガーのRYOEIが歌うと、お客さんもたまに泣くが、タレントは9割が泣いてしまう。フットボールアワー後藤や小池栄子など、聴いた瞬間に、本人もわからぬまま涙が流れた。
彼らは、物事を心で記憶できる才能がある人たちなのだ。なので、今後RYOEIが有名になってテレビに出たとすれば、彼らは、初めて歌を聴いたときの感想を感情でしゃべることが出来るだろう。すると、脳で覚えてしゃべっている人たちよりも伝わるのだ。
絶えず心で記憶する人間にならねばならない。
9.M-1で勝つネタ
今はタレントになろうとは考えず、M-1の事だけを考えろ。M-1は、ネタ番組や舞台でやる芸とは違う。
例えば自分は、もうテレビ芸しか持ってないので、舞台で漫談をすることはできない。
テレビ芸は、お茶の間の心理を見てしゃべっており、会場のお客さんはどうでもいい。M-1の場合も、審査員だけを意識してネタを作らねばならない。審査員を突破して決勝に行きさえすれば、売れるのだ。
M-1の予選の持ち時間である2分間ぐらい、審査員をごまかせないとダメだ。
短くはっきりしたものを作らねばならない。はっきりしたキャラ付け、パターン、見た目。
最近の若手は衣装を考えておらず、区別できないので、また同じようなヤツが出てきたとマイナスから始まる。自分は年収8万円のテレビに出ていないときでさえ、1年で5着スーツを作った。誰のために作ったかというと、吉本の社員のためである。社員に「またスーツ作ったのか」と言ってもらうためだけの衣装だったのだ。
外へ発信するのは売れてからであり、初めは内側へ向けて発信せねばならない。オリンピック代表になる前の国内予選と同じである。
2分のネタは歌で言うと、サビ前から始めなければならない。ストーリーのあるネタではダメだ。キレイにできたとしても、おもしろくすることはできない。
自分が用いたネタ作りの方法は、まずはお題を考え、そのお題に対して色々なボケを大小15個ほど考える。お笑いと関係ない友人に手伝ってもらってもいい。2分の場合、その15個からチョイスするのは4個でいい。ベスト4を無理矢理流れにすればいいのだ。
1つ目のボケと4つ目のボケが、同じ笑いの量であってはならない。雪だるまのように、笑いはローリングしていかないとならないのだ。
3分間のボクシングの試合で「ラスト30!」と声をかけるのは、ラスト30秒に打った方がジャッジの印象に残るからである。重要なのは審査員の最後の気分である。
4つ目の最後のボケで、わずかな、小さな言葉の面白さを見せること。センスの話になってしまい、今言えと言われても難しいが、ダウンタウン松本が得意とするような、小さな言葉のセンスを最後に見せて、最後に一瞬雪だるまが加速したような形になれば、人はもっと見たいと思うものだ。「さっきのわざとか?」と審査員の印象に残れ。
始めの1分はキャラ付けとして使う。天才じゃないのだから、知らない兄ちゃんが、いきなり出てきていきなり笑いを取ることなどありえない。
おもしろいのはラスト30秒でいい。これが決勝の4分になると、今までの2分+2分で、2分30秒間ずっとおもしろくなる。
これはM-1の審査員に見せる為の漫才である。審査員は何組も見ているので飽きる。1日100組も見ていて、80組目で出てきた漫才師をどう思うかという目線で考えろ。飽きたときに違うタイプの漫才師が出ると、おもしろいと錯覚するものだ。
自分たちより前に登場した漫才師は、ネタフリとして認識し「前のやつらの漫才をどう利用し、いかに2分間で審査員にインパクトを与えられるか」を考えるのだ。
この世界は、売れるとめちゃめちゃ儲かる。金が儲かって、大きい家に住めて、ありえない女を抱ける。賞品はこの3つである。普通の人間がこれらをもらえるのは、この世界しかない。それが頑張れるエネルギーである。
自分も君たち生徒と同じだった。パチンコに行って二千円負けて「なぜパチンコに行ってしまったのか」で半日悩んだ。
夢が叶っていくと、残念ながら夢を失っていく。一対一で飲み屋でこれからの夢を語り合うとすれば、自分は君たちに負ける。それを思うと泣いてしまう(突然泣く)。
10億で売ってくれるなら換わって貰いたい。つまり君たちは10億円分の若さと夢を持っているのだ。だがこのまま50歳になったら何もなくなる。「漫才」は一回目の挑戦である。これでダメだったら全てが終わる訳ではない。でも一回頑張ってみよう。それでダメだったら、違う方法で頑張ろう。まだまだ大丈夫だ。
初めに聞いたときはすごいと思ったが、書くときに改めて何度か聞くと、新しい笑いを否定する、物を作ることに対するオリジナリティが全く無いことに、ドン引いた。これ以前から出てきていたジャルジャルとか無視か!女の観客を舐めすぎてるし、途中泣くし、やっぱりこいつ気持ち悪いわ!となった。
そして講義した2007年のM-1の結果を確認したところ、おいらのスーパー父ちゃんオススメの小手先芸とは真逆の、単純な力量だけで無名のサンドウィッチマンが優勝した年だった。
人生を勝ちまくった島田さんは2011年、大好きな元ボクサーの893及びその人に紹介してもらった893との大交友により、泣きながら引退した。
やはり天才的な詐欺師である。心の引き出しがどうこう言ってるときはサイエントロジーを思い出した。思い出すまで危うく洗脳されるところだった。
生活する中でこれから嫌なことがあっても、「お前も紳助が好きだったタイプの人間だろ」と思うことによって差別化をはかり、乗りきっていこうと思う。
そもそもこの人を尊敬している人が、松っちゃん以外、変な人しか見えないことも、ほとんどの芸能人たち(この人の言う、心で記憶できる才能のある人たち)にその薄っぺらさをズェッテーに見抜かれていたからではないか。それって素敵なのではないか。
2 件のコメント:
書き起しおつかれさまでした。
確かに本質を理解してないとコピー芸になってしまいますし、ブログ主さんが最後に書かれていることも本当にその通りだと思います。
しかしサンドウィッチマンは「紳竜の研究」を見てM-1を研究して、優勝したと語っていますよ。少し気になったので通りすがりですがコメントしました
書き起こしの内容が素晴らしすぎて、最後にご自分で書かれているオチがまったく説得力ないものになってます(笑)
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