2014年1月29日水曜日

それでも夜は明ける

調布に出す自主の企画は、改めて富井と話し合い、以前中野くんが途中まで撮って頓挫した映画の、奇跡的な映像素材を中心に物語を作ることにした。暴風雨の夜道を歩いている男の背後に、何度も雷が落ちる映像。
一体、これは何なのか。
中野くんが自主を撮るために一人で虎視眈々と考えていたシナリオ。それは「主人公の彼女が強姦され、犯人を倒しに行く」という、マンガを読み始めたばかりの小学生でも引くほどベタな内容だった。
カメラを貸すため、そしてカメラをぶっ壊されぬようカメラマンをするため、俺も撮影に参加した。しかしシナリオは無く、あらすじしかできていなかった。セリフは一つも無いが、決まっている断片的な映像が一つある。それは、主人公がそこらへんに落ちているバットを拾い、犯人の車を壊すというもの。中野くんの同居人である永山が、壊れかけている車を廃車にする。その告知が、「これなり!」と、そのハリウッド顔負け映像を中野くんの脳内に浮かばせてしまったのである。
中野くん、永山、コンノさん、マスオカ、富井は5人で家賃10万円の一軒家に同居していた。その家は東京拘置所に隣接しているので、地域全体が常時暗い。警官、狂人、お国のお金で生きている人が異常に多いので、そのぶん家賃も安いのである。東京の恥部の月極駐車場に、すでに新しい車は置かれていた。であるので廃車予定の古い車は、一軒家のガレージにある。そのガレージの無用の長物のせいで、他の同居人の自転車が置けない。だがしかし中野くんのシナリオが完成しないので撮影が始まらない。廃車にできない。なのであって三人からの多大なるクレームとプレッシャーにより、シナリオが完成せぬままその車を破壊する映像だけを先に撮影するに至ったのである。そして、「これなり!」の「なり」の部分だが、中野くんは未だに池袋ウエストゲートパークのキングに憧れているのである。
キャストは既に決まっている。周りの人間からの信頼は一切無い中野くんだが、なぜか、「シュッとしたイケメンの熱いバカ」に異常に好かれる。その原因は全く不明であるが、スタンド使い同士の惹かれ合いのように、なぜか中野くんはそういうタイプに好かれるのである。よってそういうタイプで、更に家が金持ちで育ちのいい吉高さんという役者が、既に主人公役で決まっていた。中野くんが企画を話したら、ノーギャラで快諾したという。
撮影日、俺は夜勤明けで拘置所のある綾瀬に行き、夕方行われる撮影に備えた。一軒家に着き、俺は中野くんの運転する車に乗っていた。通常であれば何日も前に決まっているロケ地を、今探しているのだ。そしてスラムをひとまわりし、大きな団地の前で撮影することになった。団地特有の閉鎖的な空気が元々無い秩序をよりゼロに近づけてはいたが、静かで人は少なく、撮りやすそうだ。
ロケハンが終わり、中野くんは小道具を調達し始めた。通常であれば何日も前に決まっている小道具を、今探しているのだ。主人公が車を破壊するのに使う野球のバットは、既に家にあった。しかし道端にバットが単独で落ちているご都合主義な状況は、映画のクオリティを下げる。それを誰かに入れ知恵されたのだろう、バカは、中野くんは「近くにグローブを置いとけば小学生が野球をした後みたいになるなり」と、グローブを探していたのだ。部屋にこもっているマスオカに聞くと、何とグローブを持っていて貸してくれると。押入れから出されたグローブは、シングルマザーであるマスオカが、お父さんとキャッチボールをした思い出として大切に保持している、唯一の形見のようなものだという。そもそもマスオカは借り物ばかりで周りを固めていて、全く物を持たないという習性が、そのエピソードにより感動性を含ませていた。こっちの話の方が映画的でないか、誰もが思うが、中野くんには現実の中の映画っぽい事柄に全く興味が無い。実話が物語のヒントになるなど微塵も感じず、スルーして生きている人間なのであった。
夕方になり富井も撮影に合流したが、肝心の主人公、吉高さんが来ない。空は夜へ変色し始め、じょじょに小雨も降ってきていた。吉高さんは渋滞に巻き込まれたようだ。何でお前ら都内一人暮らしなのに皆車持ってんだよという嫉妬が、我々にさらなる怒りを招いた。
夜は更けていき、いよいよ照明無しでは撮影が難しくなってきた。照明など無い。だけでなく雨も本降りになってきた。富井は「今日は打ち合わせだけにして、後日撮ろう」と、冷静に助言したが、吉高さんに悪いと思ったのだろう、バカは、中野くんは、一切耳を貸さなかった。
ようやく吉高さんの車が到着した頃には、空は完全なる雷付き豪雨になっていた。結果的にはこの日、東京に記録的な豪雨が降ったのだ。中野くんは嵐を呼ぶ男であるのだ。
そして無駄に吉高は「中野くんに紹介したい人が居る」と、車から友人を連れ出した。指された中野くんは「はい、それでですね」と、友人から1秒以内に目を逸らして吉高に動きの説明を始めた。友人の存在を認めず、道にバットとグローブを置き、カメラを設置。豪雨の中、吉高は中野くんの合図と共に遠くからカメラに向かって歩いてくる。
「もっかいお願いします!」
吉高がカメラからズレたのだ。
「もっかいお願いします!」
吉高の動きにカメラが追いつかなかったのだ。
「もっかいお願いします!」
車が来たのだ。
こうして「もっかいお願いします!」を10回ほど繰り返した。まだ1カット目である。ちなみに照明は無くとも雷が完全にその役割を果たしていた。そろそろOKにしないと雨で普通にカメラが壊れる。「さっき撮った中からいいの使おう」と諭し、カメラを屋根のある場所に移動させた。敷地内に入ると団地住人に怒られるとか、そんな次元の雨ではないのである。どうぞ怒ってくれ状態なのである。2カット目は、俺の独断により屋根の下から引きで撮ることにした。完璧にCGとしか思えない雷の落ちる空をバックに歩く吉高。
「もっかいお願いします!」吉高が破壊する予定の車を追い越したのだ。お前今まで何に向かって歩いてた?
引きを撮り終えると、いよいよ車をバットで破壊するカット。助手席の窓をバットで割るのを運転席側から撮るのだが、ガラスが俺とカメラに降ってきてはかなわんと、運転席側の窓を開けて道にカメラを立たせようとした。パワーウィンドウを開けるため、中野くんがエンジンをかける。かからない。かける。かからない。車のエンジンは、このタイミングで完全にぶっ壊れたのだ。中野くんは嵐を呼ぶ男であるのだ。
一旦屋根の下に避難し、中野くん一人でエンジンをかけようとする。もちろんかからない。撮影終了である。こんな雨は今後いつ降るかわからないので、今まで撮ったカットも使えないのである。
エンジンを諦めた中野くんは車内で一人、ハンドルに崩れ落ち、ハンドルを叩いた。
「ぷァっ」
クラクションが鳴った。一瞬驚くバカは自分が鳴らしたと気付く。しかしその悲しい高音も、雷の轟音にかき消されていた。そして中野くんと車を放置し、我々は吉高の車で一軒家に戻った。中野くんはその後JAFを呼んだという。
俺の40万のカメラ、吉高の私物の服、マスオカの思い出のグローブ、全てずぶ濡れである。
そしてずっと車に居た吉高の友人に至っては、お前なんしに来た?という状況であった。
誰もが忘れていたので責められないが、マスオカのグローブは小道具として道に置いたまま忘れて帰った。
雨でハイになっているのか、吉高の友人以外は皆テンションが高い。飯に行こうとなったが、夜勤明けからその流れだった俺はあまりに眠く、誘いを断り、一人でソファに腰掛け火のついたタバコをくわえ、その瞬間寝た。不意打ちの放火犯になれなかったことを悔やんだのは、後にも先にもこの時だけだろう。
後日日中、マスオカがグローブの所在を中野くんに聞いたところ、その時点でようやくバカは思い出のグローブをスラムの道に忘れていることに気付いた。マスオカがすぐに現場に取りに行くよう怒ったところ、「わかったなり」と、中野くんは自分の部屋に戻っていき、出てこなかったという。
こうして撮られたのが、シナリオの元にする「暴風雨の夜道を歩いている男の映像」である。以下の画像は実際のものである。

2014年1月23日木曜日

コンノさん(無職、無口、顔はウルフルズのジョンBチョッパー、身長は180、 32歳)の一日。

昼、四つ下の同居人に灯油を買ってきてと言われお小遣いをもらう。
ネットニュースで、警官が未成年とLINEのゲームで知り合い、淫行して逮捕された記事を読む。
同じ、写真に落書きをするアプリをインストールする。
18歳の子を見つける。
18歳の子に年齢を聞かれ「30歳」と二つサバをよむが、その場でログアウトされる。
独り言を言う。
コンノさんはスッキリのADをしていたが「朝が早い」という理由で辞めた。
夜、四つ下の同居人に灯油を買ってきてと言われる。
早くないとでも思ったのだろうか。

2014年1月20日月曜日

戦場の絆

ナツメさんに、調布映画祭の招待枠で俺を入れることができるから30分ほどの新作を撮るよう勧められたが、完成したばかりの75分作品は完成までに一年ほどかかったのに、それの期間は一、二ヶ月ほどしかなかったので、えー無理やし、75作品を短く編集するならまだしも、と、思っていたが、富井と泊まりで相談するうち、簡単に撮れる作品のアイディアを出すことができた。
それは、富井と漫画として書いていていたが下書きだけで終わらせてしまった、ゲーセンの話である。ほぼ1シーンなので撮影を一日で終わらせられることができ、期限にも間に合う。
ゲーセンに来て楽しんでいる、ごく一般の人たち。それを見ている太ったメガネのオタクだけは「なんだこいつらは、何しにゲーセンに来ているんだ」と、心の中で一人、熱く長く語っている。オタクは、「ガンダム 戦場の絆」というアーケードゲームを模したゲームのプレイヤーである。チャラついたやつらに我慢できなくなったオタクは、とうとう誰にでもなく「遊びじゃねぇんだよ!」と大声でキレる。「ここゲーセンだぞ、、、」と、つぶやくまわりの一般客。ここまで、ストーリーの割りにまあまあ長いのであるが、富井のマンガで書いたセリフが非常におもしろく、そのまま使ってもなんら問題ない。既に完璧な原作がある。そこからオチとして、その後ゲーセン内で人々が熱中し、そして風化し、人類がほぼいなくなった世界で、少年アルベルトが小動物と砂漠の世界を放浪するという、何の話だよ!という、いわゆる青汁のCMかよ!パターンである。
キャストも俺の中ではなんとなく決まった。ただ、撮影自体は短期間で終わるにしても、撮影場所を探すのが難しすぎる。そして、ゲームそのものの画面の映像はフルCGでなくてはならない。このために、そしてアカルイミライの為に、自分はCGソフトを4万円ぐらいで買うことにした。全く使いこなせなかった。もんのすげ難しく、既に形作られたサンプルでさえも少し動かすのにかなりの手間を要し、一日使ってもうまく動かせないほどの難しさだったので、これは俺は、思いっきり4万をどぶに捨てたことに気付いた。なぜ体験版で試さなかったのか。4万円あれば何が体験出来たのだろうか。かつて友人が3万8千円の風俗に行ったことがあると言っていた。それは、オリジナルAVを撮れるという特殊な風俗店である。マンキツバイトのバイトリーダーのお勧めであった。冬の訪れを早足に知らせてくれる風が漂う五反田の風俗街、から外れた、とあるマンションに、友人は漂っていた。その一室のドアを開けると、一見クリエーター風のおじさんが「この店はどうやって知りましたか?」と、凛として立っていた。その質問は、このドアがある種のブルジョアジー特権を必要とする検問であるということを匂わせた。「とある人物に薦められて」と告げると「紹介ですね」と、スムーズに中に入ることが出来た。そんなに重要な質問ではなかったようだ。言われるがまま免許証を渡しコピーを取られ、誓約書に署名とサインをした。その紙片には「この映像を他人に見せた場合、百万円支払います」という旨が記されていた。そしてホテルを紹介され、一人で照明をフルにしてカメラのダイヤルをフィルム風に撮影できる24Pというモードに、合わせる。その間に女が、ドアの前にやってきた。ドアが叩かれ、女は新しく出来た検問を突破し部屋に招き入れられた。彼女は26歳ほどの美人女性であったので、簡単に通過することができたのだ。そして自分は、カメラを手にしてめちゃくちゃに気持ちよく(※個人の感想です)セックスしたのである。
このブログは五反田 スタジオヌードの提供でお送りいたしました。

2014年1月15日水曜日

ビジターQ(2001)

殺し屋1と同年に作られた三池崇史の最強最低映画。とある訪問者(タイトルではQ)により、集団が再生していく話。
殺し屋1を陽とすれば完全に陰な映画だ。予算、シーン共に非常に少ないので、華やかさが無い。ファッション性も無い。着飾らない汚物。家族映画が割と好きな自分だが、これぞ究極の家族映画である。ただしこっちは同じ家族ものでも、ロイヤルテネンバウムズ(2001)とかが好きな女どもを数分で最悪な気持ちにさせることができる。空中庭園(2005)よりもアッパーに(空中は監督が薬物常習者だっただけだが)、過剰な性をビデオ映像で描く。ビデオということもあってか、「どうですかお客さん?」といったような厚かましさがないので、こちらが食い入って見てしまう。かといって映像クオリティも高い。ジャーナリスト視点のPOVも混ぜ、今よりもぐんと安っぽく生っぽかった当時のビデオ映像を最大限に生かした、映画の常識を無視した斬新な画。それゆえ比較対象が無いので批判のしようがない。例えば園子温のうつしみ(1999)は、映像クオリティだけでいうと低いと思う。

覚せい剤常習者で売春もしている母。母にDVを振るう、いじめられている息子。それらを無視する円光三昧のジャーナリストの父。家出して父と円光してしまう娘(しかもオープニング)。父の友人と名乗る無口の居候が住み始め、彼ら彼女らの行動は激しく変化していく。それは狂っているのか、ただの家族愛からなのか。
永遠に終わらぬどつき漫才の果てにある究極の安心。遠藤憲一、内田春菊といういい加減にしてほしいガイキチ中年の汚すぎるけど嘘がない演技。嘘が無いということが、こんなにも美しくて笑えるとは。

今アマゾンで確認したところ、DVDが9690円だった。レンタルに置いてなければ、こういう転バイヤーの利益しか産まない作品はネットで見て問題ないのではないか。ちなみにうつしみは300円高い9990円。園子温勝利。や、TSUTAYAのページで検索したところ、どちらも新宿TSUTAYAにはDVDがあるようだ。テレビ画面で見よう。出世して当たり前の人達が出世したことに感謝。

2014年1月12日日曜日

殺し屋1(2001)

レンタル開始時高校生だったが、R18のこの作品を、ワキガだが巨乳の中学の先輩(武田さん)が店番をしてる隙に貸してくれて、自分の感性と人生に多大なる影響を与えた。
月一本撮ってんのかっていう頃の三池監督が、牛頭(2003)など、幾多の糞ギャグ映画の中から、この作品とビジターQ(2001)を生み出した。そしてその二本は、日本の定義を新しく世界に植え付けたと言えるのではないか。この日本、いや二本を超える、不条理でアバンギャルドな邦画がこれ以降あっただろうか。まぁ冷たい熱帯魚(2010)とかあるけど。キル・ビル(2003)の出演者の一部は、この作品ほぼそのままの役柄で出演していることからも、特殊な海外人気が伺える。ウルヴァリンSAMURAI(2013)やたけし映画から見ても、日本のエンタメの活路は893映画にあるのかもしれない。

内容としては、殺し屋のイチを抱える歌舞伎町のハイエナ的グループが、どMの変態率いる893グループを潰していく抗争のなれのはてを、ハードなSMと幼少期のトラウマをベースにして描いていく。特筆すべきは、不安定なイチの人殺しの原動力である「トラウマ」だと思っていた出来事は、事実だったのか?そしてSMで感じる痛みさえも、愛でなくただの「体の不具合を知らせる防衛の機能」でないのか?真実を無視していちいち幻想を作り上げないとやっていけない人間の悲しさを描くところである。

原作マンガのファンが多いため嫌う人も居るが、個人的には原作よりも勝っていると思う。マンガをマンガたらしめる、キャプテン翼の実況のような、全部説明してくれる人が居ないという点でわかりにくいし、記憶に残る暴力描写はいいとこが削られている。しかしその点が排除されたことで非情にオシャレであるし、山本英夫の原作はドヤ感が強いが、三池作品にはそれが一切無い。それは監督のどの作品にも言えることで、それゆえ実質日本で一番映画を作れているのだと思う。

世に出たばかりの大森南朋にはオナニーのイメージがつきまとい、最近まで気持ち悪かったし、松尾スズキや塚本晋也もこれで知ることができた。手塚とおる、渋川清彦、何より浅野忠信の「何で垣原こんな棒読みなん?そして金髪なん?」という衝撃。この映像ばえするやつらの顔のアンサンブル。イチが持つ唯一無二の特殊な武器に、北村道子[双生児(1999)、恋の門(2004)]の衣装。汚い都会の映像が、暴力と笑いを最高に引き立てる。映画の法則や流行を無視した山本英夫(原作者と漢字まで同姓同名である)の手持ちカメラは、松本人志の大日本人(2007)でも活かされた。
脚本の佐藤佐吉が、これ以降ダメな方向に進んでしまい、東京ゾンビ(2005)で邦画に迷惑をかけたことだけ悔やまれる。ハゲ!

2014年1月11日土曜日

180回目の呪い2

身長が高すぎるゆえ工場のBBA共に「あの箱とって」とよく指名される埼玉の聖子ちゃんカットは、石橋さんという名前であった。
BBA共は一階の若い派遣とは違い、羞恥心というものがなく、よく商品名の独り言を言いながら作業していた。確かにその方が間違うことなく業務を進めることができるし、皆がやっていることなので、呟いたところで通常の職場のように「どした?」「頭壊れた?」と心配されることもなく「あんたそんだけ呟いてたらフォロー外されるよ」という最先端ギャグでつっこまれることもない。その場所ではごく日常の風景であった。よって、自分はいちいちBBAの独り言に耳を傾ける余裕もないので、耳をシャットダウンさせていた。
それが間違いだった。否、セイコウだったのかもしれない。一人で過疎化されたエリアの棚で作業していたところ、運命の糸に絡み合うような格好でもって、180センチの石橋さんもそこに来て作業を始めた。相も変わらず、ずっと商品名の独り言を言っている。と、思っていたら俺の視界に石橋さんの腕が入ってきた。その腕は、俺の目の前の商品をつかみ、口からは「アルバイトだからねぇ~」と面倒そうに放ちつつ、石橋さんのもう片方の腕の肘へとインサートされた。
石橋さんは、独り言でなく、おそらく俺に「あの箱とって」と言っていたのである。しかしこちらは聴覚をシャットダウンしたまま作業に没頭していたので、それに気付かないのである。そんな二人のすれ違いは、俺を人道的介入を許さぬ人間と思った石橋さんの、アルバイトだからねぇ~(まぁ私はいいんだけどねぇ~)という諦めの呟きを生んだのである。
そして自分の脳は「それさえも独り言」と処理し、全てを聞こえていない体裁でもって、無視した。石橋の腕は、何度も自分の目の前と石橋の残された腕を行き来した。この非常事態に、今は耐え忍ぶとき、と、ひたすら沈黙を守っていた二人であったが、腕の往来は続いた。かなりの量の商品が必要だったようだ。そして横目で見ると、石橋の残された腕には幾十も商品が積み重なっていた。いや危ない!商品を床に落とすのは当工場において重罪ですよ!心にとどめておいたが、石橋は制御の利かぬ幼児のごとく、腕に商品を積み重ねる。商品は幼児の触る積み木がごとく、積み重なっていく。そして案の定、グレた子供のように積み木は崩れた。
その瞬間石橋は「産まれちゃうっ!」と言いながらヒザから崩れ落ちた。商品は石橋の足元に降り注いだ。何が起きたのかわからなかったが、ようやく俺は我慢できずに吹き出した。今わかることは「石橋が身篭ってくれた」ということぐらいである。
その後も、石橋は俺に出会うたび「とけちゃう」。急ブレーキ。「石橋です」という名言をいくつか残した。溶けた件に関してだが、工場の日陰から夏の日向に出た瞬間、石橋は一人で「とけちゃう」言っていた。ブレーキの件は、「尊敬する先輩の話」として、石橋のことを上司に話していたところ、石橋が通りかかり、駐輪場へと上がった。一階はバイク、二階に自転車の駐輪場があり、自転車は手で押して、上げたり下ろしたりしないと二階には持っていけない。その急な坂に上がって十数秒後、石橋は自転車にまたがりノンブレーキで下りてきた。そのまま突然ブレーキをかけ地面を半回転させながらドリフトし、帰宅した。上司は後に、石橋に、俺が石橋を尊敬していることを漏らしたようで、石橋は突然俺に話しかけてきた。「あなた、石橋さんが面白いって言ってくれたみたいだけど」石橋は俺の目を見下ろしながら自身のネームプレートを摘んだ。
「石橋です」。糞ウザかった。
どうでもいいが、この工場には「石原さとみ」の他に「大竹しのぶ」というBBAも居る。石橋に関しては、本気で石橋貴明の親戚でないかと疑っている、、、

2014年1月10日金曜日

180回目の呪い

工場で無言のメガネと一階の底辺を任されている自分であったが、たまに二階にヘルプに行くと、同じ日本、や同じ建物とは思えぬ人口密度であった。二階は一階と打って変わり、てめぇらこんなにどこに居た、という程、BBAが数十人体制で労働していたのである。冬場大きめの石を裏返すと、その下に作業着を着たBBAがうじゃうじゃしている状況である。彼女達は何歳ぐらいなのか皆目検討もつかぬが、「何年生まれー?」「23年!」という会話が聞こえてきたことがある。ソースがそれしか無いため何の年号かもわからぬまま、「23年!」はBBA共の喧噪の中へとまみれていった、、、
仕事の説明を受けていると、金網の棚越しにBBAが集っていた。背が180近くある聖子ちゃんカットの目の細いBBAが、5,6人のBBAを先導し、
「あーすごいかっこいい人が居る~」「ほらほらーかっこいいー」等と、網越しに自分を指差し女子校のようなキャピキャピ感でもって韓流扱いし始めているのである。
自分はこれに対する適切な返しを持ち合わせておらず、マジなのか現実なのかも判らぬまま、あー眠いんすよーといったような体裁でもって、ただただ無視するという一番愚かな選択をしてしまうのであった。
から騒ぎが治まった後冷静になり、自分は何をしているかという嫌悪感に陥った。なぜ、あのノッポが自分を皆に紹介してくれたのに、あの方達に向けて挨拶一つ出来なかったのか。笑いながら暴言を吐いたり、容疑者のように顔を隠すアクションをするなり、どう転がろうと上手く立ち回れたはずである。
その後一人で作業していると、先ほどの180女性と二人きりですれ違うことがあった。自分は、軽く笑顔を作り会釈したところ、無視された。無視返しだ。こいつ不合格、そんな烙印を押された気がした。彼女は、シモばかり言うのに行為はしない女性と同じく、エロ・金を笠に着てギャグを言う、不二子ちゃんタイプのBBAだったのである。何枚もうわ手であったのかと、自分の未熟さが悔しくなった。
帰り、同じ派遣だが上階に配属されているバツイチ子持ちの石原さんと、たまたまバスから駅まで一緒に帰った。静かな駅で石原さんは、「終わった後はあんなに寒かったのに、もう暑くなっちゃった」と、妖艶に上着を取った。自分はこれに感しても何一つ適切な返しを持ち合わせておらず、マジなのか現実なのかも判らぬまま、ただただ無視してしまった。
偶然にも、彼女は「石原さとみ」という名前だった。何の話だよと思うかもしれないが、悔しいかなただの現実である。
後から考えると「創価ー!」と合点がいった。それは、石原さとみ→私にインシテミル?という意味だったのかもしれない。自分の回転の遅さを悔やむばかりである、、、
翌週、また二階に行った自分は、またあのBBAと同じ棚で二人きりになってしまった。欠員が出る度に、160男と180女の心理戦は糞映画のように続く、、、

2014年1月7日火曜日

キムヨナ

森高千里が音楽を止めないのと同様に、TUBEが太陽の季節を止めないのと同様に、工場の飲み会は続いていた。
席替えがあり、ビジュアル系の女の近くに座った。自分はなぜかビジュアル系を多く扱うレコードレーベルの映像編集部間でインターン的なことをしていたので、その旨とその時に覚えたバンド名を言うことにより、彼女に近づこうとしていた。しかしさほど反応は良くなく、実はさほどビジュアル寄りではない旨を通達された。
ではその、ビジュアルよりのビジュアルは何のビジュアルに憧れてビジュアっているのだろうか。
高校卒業後のことを聞いたら、専門学校のアナ学に通って声優を目指していた、という。アナ学とは、アナウンサー及び俳優や声優や芸人を養成する学校である、あると同時に思い切り俺と同じ学校の別の科だった。よりによって声優科というチョイスは、そのビジュアルぶりとコミュ症ぶりのソースを表すのにうってつけの裏づけとなっていた。
好きなアニメを聞いてみたが、「テガミバチ」と、それはガチもガチでもって言ってくれたのあって、こちらがその「テガミバチ」を知らない以上、一緒の学校なのに全く話が盛り上がらないという状態になり、自分にも非があるがダメだこいつ会話できねーわ状態になったのであった。
真剣にこの女が人と会話をしているのをめずらしく思ったのか、派遣を仕切っているハゲが我々に目を付けた。「おーい、性教育教えんなよー!」と、そのハゲはその糞サブさでもってスズメバチのような攻撃をしてきたので、「そんなこと言ってないっすよー」と、言いながら顔をビジュアルに戻し「まんこがー」とやや大きめのトーンで言うことによって、その場を終わらせた。その性器名は曲線を描くフィギュアスケーターのような静寂さでもって終焉を演出してくれた。
その後カラオケで、女は、ラルクのwinter fallを熱唱したという。

2014年1月5日日曜日

ライブ・イン・ニューヨーク・シティ

埼玉の、山ギリギリの車道を抜けた先に在る三階建ての工場、自分たちの派遣会社は、基本的に一階を10人ほどで任されていて、自分は一階の中でも限りなく重い箱を運ぶ、甘く見積もっても外の風が吹き抜ける、あらぬ限り同僚のメガネが一人居る、よく見ると訛りのきついおっさんも一人居る、どう見ても肉体労働エリアだった。全階で百人近く従業員がいる中、重い商品ばかりを運ぶのは自分たちだけ、力持ちの最強のふたり、もしくは最下層のふたりだった。
そのメガネは全く仕事以外のことを喋らず、よく言えば硬派、悪く言えば高機能自閉症の推定童貞だった。そもそもそれは他の工員にも言えることであり、自分含む会社や店で働けない困ったやつらが、その建物に全員集合していた。偶然にも全員週五だった。
笑えない志村たち、たまに一階の同じ派遣が居る別のエリアに行くと、基本20代中盤男女の中にちょくちょくアラフォーという、後のバイト人生でよく見かけることとなる年齢分布。一見このエリアは楽しそうであったが、何分か居ると、そこはかとなく違和感を感じてくる。例えば、面白いことがあってもそういうこともあるよね感でもってスルーしていた。マンキツだと勿体無い勿体無いと、高度経済成長を経験したBBAのようなケチさでもって全員群がっていたような事案である。
丸メガネのハゲかけたガタイのいいおっさん、芋洗坂係長を薄めたような大矢という名のモンスターが、高い棚にある箱を取ろうとしてメガネを落とし、メガネに大きくヒビが入った。もちろんメチャクチャピュアな目をしていて、なぜか丸メガネだったので、撃たれた直後のジョンレノンのようだった。
ジョンレノンの死を加害者目線で追った「チャプター27」のジャケットか!と思っても、発表する人も居らず、そういうこともあるよね感でもって、それは打ち消された。
何日かすると飲み会があり、たまたま同年代美人女性二人が自分の前に座った。そこに、かなり笑いにストイックな42歳の子デブのBBAも居り、自分はその右腕の貢献もあってか、えっ俺さんま?
もしくは、えっ俺さんまさん?と、言わざるを得ない状況となった。あくまでも一例であるが「どういう顔がタイプなの?」自分である。「いや顔はあんま関係ないし」女である。「芸能人でいうと誰?」「えー」。そこに、わざとらしくなさと気付いて欲しいという中間の表情でもって俺「織田信成とかはどう?」そこに42歳「うわー、織田信成に似てるー」場内大爆笑である。織田信成に似てるというだけで爆笑を掻っさらうことができるほど彼奴等は波を起こすことができないでいたのである。暖まったままの勢いで「そういや、大矢さんがメガネ割ったとき、撃たれた直後のジョンレノンかと思ったわ!戦争のない世界想像したわ」
そういうこともあるよね感でもって、それは打ち消された。

2014年1月4日土曜日

ターミネーター(1984)

一時FC2動画にハマっておりタダで見れないかと検索していたところ、一部のFC2動画を制限無しで見る方法として、FC2ブログを作り、そこに貼り付けるという抜け道があることを発見した。自分でもブログを立ち上げて貼り付けてみたところ、うまくいった。しかし何か本文を書かないとブログごと削除されるのではないかと思い、なぜかガチの映画感想文をいくつか書いた。しかし基本的にそこに貼られた動画は自分の性的嗜好が剥き出しになったものであり、知人どころかTSUTAYAの店員でさえも引くラインナップばかりだったので、そのサイトを他人に見せたりすることはできなかった。だからコピペしてこっちに貼ってこうと思う。

ターミネーター(1984)
バットマンビギンズ(2005)の2作目であるダークナイト(2008)が誕生するまで、「2が1を超えている唯一のシリーズもの」であったターミネーター。あまりに面白すぎる2の存在に隠れているが、改めて見直すと1の脚本の面白さに驚くはずだ。
<イイモノ>カイルが、<ワルモノ>ターミネーターと、<宝物>サラ・コナーを取り合う単純な話だが、それぞれに時空を超えた背景がある。
イイモノが一番影が薄く、ただのストーリーテラーになっており、ワルモノに皆が共感してしまう、そして宝物であるサラ・コナー自身も主人公に見える(連ドラであるサラ・コナー・クロニクルズ(2009)は、めずらしくフジが23時台に放送した)。その主人公不在なあたりも、新バットマンと似ている。
「皮膚剥がれかけのターミネーターに対するエキストラのリアクション」を基本とする笑いも効果的であり、裸でしかタイムスリップできないという、無意味なカセも、武器が原始的である説得力とキャラ紹介を持って、描かれる。笑いどころでは、サラの同居人の彼氏が、同居人に電話Hをしようとするがサラが出てしまう、サラは電話Hをわざと放置して恥をかかせた後、同居人に替わる。そして同居人に当然のように同じ文言で電話Hを始める。というのが子供心にやけに印象に残った(80年代という時代柄、サラ・コナーの髪型は切なくなるが)。
エイリアン2(1986)で無駄に磨きがかかる、死んだと思ったら死んでない敵のしつこさ同様、ジェームズ・キャメロン監督もアバター(2009)でタイタニック(1997)以来12年ぶりに復活した。「I`ll be back」と、無駄に掛けてしまったが、キャメロンはプライベートが忙しかったのだ。ゼロ・ダーク・サーティ(2012)のキャスリン・ビグロー監督が、キャメロンの昔の嫁として有名だが、サラ・コナーとも結婚していた。現在はユージュアル・サスペクツ(1995)で主人公に裏切られる恋人役を演じたスージー・エイミスと結婚している。



2014年1月3日金曜日

朝の霧

派遣は派遣でも、固定のやつをやろうと思った。週5で勤務時間短いやつ。ブシヤのキツマンで働いていた際、よく思っていたのは、もう都会嫌やわ!ということだった。次は田舎で働こうと思い、面接したら受かったので、池袋行きと逆の方の電車に乗り埼玉へ下った。ダークなこちら側の世界(埼玉側)に労働で踏み入るのは初めてだったので、それなりの緊張があった。
なにしろ5ヶ月まともに働いてなかった。
その日その時間に勤務を開始するのは俺だけで、派遣を仕切っているハゲている人が、着いた駅の改札の前でその顔をこちらに向け迎えてくれ、「面接の日に一目見たときから決めてたんですよ」と、ハゲている人はその口を街コンと勘違いしているかのごとく開いたので、こちらもその一言と、街に溶け込んだ街ハゲ、及び派遣を待つ待ちハゲを見て一気に緊張が解けた。このアラサーぐらいの肌質なのに要介護レベル5ぐらいに見える程ハゲきったハゲは、すごい気さくに話せて、ハゲてるとこんなに気さくに話せるんだ、と新しい発見があった。しかし自分の中に一抹の不安もよぎった。初対面の印象がよすぎる人ハゲは、逆に注意ハゲせよという名言を聞いたことがあったからだった。結果この文言は的中し、後にバイト内に波乱を巻き起こすのだったハゲ。
ハゲと共に公共のハゲに乗って工場に行ったが、埼玉なのでハゲいやバスの乗り方が違う。「パスモを行きと帰り、どっちもあそこに当てるんですか?それだけでいいんですか?」聞いたが、軽く何も聞こえて無い感じのポーカー頭皮で流してくれて、やはり抜群に信用できないスタートをハゲきったのだった。

2014年1月2日木曜日

12 hours a slave

ファミレス後、派遣に行った。
場所は22時をまわった都会のスーパーだった。マックスの照明で基本750円のアパレルやダイソーに毛が生えた雑貨が並んでいるが、いつもとは違い、客も店員も居ない不思議な空間。更にいつもと違うのは、隅っこの方で片手に機械を持った二十人弱のエプロンをした男女が一列に並んでおり、社員の合図と共に一歩前へ出て商品に近づいていることだった。そこから更にもう一声かかり、男女は作業を開始した。商品のバーコードに機械を当てる。質問があれば手を上げる。疲労は全く無いが、こんなところでこんなことを生まれて初めて思うとは思わなかった。俺たちは機械じゃない!と。
休憩中も、大勢の大人が大部屋に集まってはいるが会話は全く無い。それは当たり前の状況なのかもしれないが、一晩だけ集合させられて解散というセフレ的派遣自体、経験が無かったので、引いた。そしてとある考えが頭をよぎった。俺たちは機械じゃない!と。
同い年くらいの女がいたので、話しかけてみると、映像編集の仕事をしているということで会話は盛り上がった。女は、こういった個人事業主ができる副業が、男にはたくさんあるから羨ましい、と言っていた。確かに女にはお水があるが、それすらできないオアしたくない女にとって、フリーで生き抜くのは大変なんだなと同情した。
そしてそのブスに話しかけすぎて、ちょっと惚れないでよ的な空気を出された。その態度に気付き、忘れかけていたあることをようやく思い出した。俺たちはセフレじゃない!と。
翌日から、この派遣会社からのメールは無視した。

2014年1月1日水曜日

再開

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=noborutakaya

前に、専門学校2年の19歳、2005年からブログを書いていて、最後の日記を見ると2007年だが、内容を見ると2009年11月のことで、更に震災ネタが入っていたので、それを書いたのは2011年のようだ。なぜそんなややこしいことになっているのか、そしてなぜ夏冬オリンピックを外した2年ごとなのか。前回はファミレスの面接を受けたところまで書いていた。そのファミレスは、受かった。今まで外食産業というものは、あ、もう2009年に戻ってます。外食は忙しいという噂は耳に入っていたので、主要駅から離れた駅の、全然駅前じゃない、立地にこだわった情強のバイト選びができた。出勤したところ軽い戦争だった。
こんだけ忙しきゃ誰でも受かるわ、というせわしなさだった。注文と、持ってくのと、片付けだけだけど、その間の空白の無さすごい。それ以外には、使用済みの鉄板を集めた箱をシンクまで持って行く男子専用雑務。これの重さで、生涯初めて腰を持っていかれた。そして、女子の多い職場を生涯初めて経験した。ブスも美人な人も、全然話しかけてきてくんない。男と違って距離感がある、というか距離という概念で測れない、無限なる宇宙。否、ブスが一人色々と教えてくれた。そしてそのブスに話しかけすぎて、ちょっと惚れないでよ的な空気を出された。
ホールだったから、男は俺以外には一人。その人は唯一の味方だと思っていたが、何かと上司にチクられたりして、早々に四面楚歌だった。
年下も多かった。
「伴」という名前の女子高生か女子大生が居たのだが(バンと読む。絆ではない。震災ベビーではない)、「伴さんって、ドゥーアズインフィニティーの伴ちゃんと同じ名前?」って聞いてみたら「ドゥーアズインフィニティーって何ですか?」って言われて、世代間のギャップを感じた、と、元同級生に話したんだが、それは自分の妄想だったことにあとから気付いた。実際は、「伴さんって、ドゥーアズインフィニティーの伴ちゃんと同じ名前?」って聞いたら無視された。ギャップどころじゃない。自分でも、何が起きたかわからなかった。結果「その人知らないというリアクション」として処理していたのだった。自分はステルス迷彩を着ていたのだろうか、透明人間の慎吾くんだったのだろうか、否、民衆には見えぬ神だったのだろうか?
何日か勤務したあと、嘘の撮影が入った電話をして、辞めた。大げさなリアクションで驚かれた。やはり神だったのかもしれない。シフトが足らなかったのかもしれない。そのリアクションに伴い、電話の奥で笑い声が聞こえたのがせめてもの救いだった。だってこれは、誰もがいつか越える坂道だから、、、