2014年1月29日水曜日

それでも夜は明ける

調布に出す自主の企画は、改めて富井と話し合い、以前中野くんが途中まで撮って頓挫した映画の、奇跡的な映像素材を中心に物語を作ることにした。暴風雨の夜道を歩いている男の背後に、何度も雷が落ちる映像。
一体、これは何なのか。
中野くんが自主を撮るために一人で虎視眈々と考えていたシナリオ。それは「主人公の彼女が強姦され、犯人を倒しに行く」という、マンガを読み始めたばかりの小学生でも引くほどベタな内容だった。
カメラを貸すため、そしてカメラをぶっ壊されぬようカメラマンをするため、俺も撮影に参加した。しかしシナリオは無く、あらすじしかできていなかった。セリフは一つも無いが、決まっている断片的な映像が一つある。それは、主人公がそこらへんに落ちているバットを拾い、犯人の車を壊すというもの。中野くんの同居人である永山が、壊れかけている車を廃車にする。その告知が、「これなり!」と、そのハリウッド顔負け映像を中野くんの脳内に浮かばせてしまったのである。
中野くん、永山、コンノさん、マスオカ、富井は5人で家賃10万円の一軒家に同居していた。その家は東京拘置所に隣接しているので、地域全体が常時暗い。警官、狂人、お国のお金で生きている人が異常に多いので、そのぶん家賃も安いのである。東京の恥部の月極駐車場に、すでに新しい車は置かれていた。であるので廃車予定の古い車は、一軒家のガレージにある。そのガレージの無用の長物のせいで、他の同居人の自転車が置けない。だがしかし中野くんのシナリオが完成しないので撮影が始まらない。廃車にできない。なのであって三人からの多大なるクレームとプレッシャーにより、シナリオが完成せぬままその車を破壊する映像だけを先に撮影するに至ったのである。そして、「これなり!」の「なり」の部分だが、中野くんは未だに池袋ウエストゲートパークのキングに憧れているのである。
キャストは既に決まっている。周りの人間からの信頼は一切無い中野くんだが、なぜか、「シュッとしたイケメンの熱いバカ」に異常に好かれる。その原因は全く不明であるが、スタンド使い同士の惹かれ合いのように、なぜか中野くんはそういうタイプに好かれるのである。よってそういうタイプで、更に家が金持ちで育ちのいい吉高さんという役者が、既に主人公役で決まっていた。中野くんが企画を話したら、ノーギャラで快諾したという。
撮影日、俺は夜勤明けで拘置所のある綾瀬に行き、夕方行われる撮影に備えた。一軒家に着き、俺は中野くんの運転する車に乗っていた。通常であれば何日も前に決まっているロケ地を、今探しているのだ。そしてスラムをひとまわりし、大きな団地の前で撮影することになった。団地特有の閉鎖的な空気が元々無い秩序をよりゼロに近づけてはいたが、静かで人は少なく、撮りやすそうだ。
ロケハンが終わり、中野くんは小道具を調達し始めた。通常であれば何日も前に決まっている小道具を、今探しているのだ。主人公が車を破壊するのに使う野球のバットは、既に家にあった。しかし道端にバットが単独で落ちているご都合主義な状況は、映画のクオリティを下げる。それを誰かに入れ知恵されたのだろう、バカは、中野くんは「近くにグローブを置いとけば小学生が野球をした後みたいになるなり」と、グローブを探していたのだ。部屋にこもっているマスオカに聞くと、何とグローブを持っていて貸してくれると。押入れから出されたグローブは、シングルマザーであるマスオカが、お父さんとキャッチボールをした思い出として大切に保持している、唯一の形見のようなものだという。そもそもマスオカは借り物ばかりで周りを固めていて、全く物を持たないという習性が、そのエピソードにより感動性を含ませていた。こっちの話の方が映画的でないか、誰もが思うが、中野くんには現実の中の映画っぽい事柄に全く興味が無い。実話が物語のヒントになるなど微塵も感じず、スルーして生きている人間なのであった。
夕方になり富井も撮影に合流したが、肝心の主人公、吉高さんが来ない。空は夜へ変色し始め、じょじょに小雨も降ってきていた。吉高さんは渋滞に巻き込まれたようだ。何でお前ら都内一人暮らしなのに皆車持ってんだよという嫉妬が、我々にさらなる怒りを招いた。
夜は更けていき、いよいよ照明無しでは撮影が難しくなってきた。照明など無い。だけでなく雨も本降りになってきた。富井は「今日は打ち合わせだけにして、後日撮ろう」と、冷静に助言したが、吉高さんに悪いと思ったのだろう、バカは、中野くんは、一切耳を貸さなかった。
ようやく吉高さんの車が到着した頃には、空は完全なる雷付き豪雨になっていた。結果的にはこの日、東京に記録的な豪雨が降ったのだ。中野くんは嵐を呼ぶ男であるのだ。
そして無駄に吉高は「中野くんに紹介したい人が居る」と、車から友人を連れ出した。指された中野くんは「はい、それでですね」と、友人から1秒以内に目を逸らして吉高に動きの説明を始めた。友人の存在を認めず、道にバットとグローブを置き、カメラを設置。豪雨の中、吉高は中野くんの合図と共に遠くからカメラに向かって歩いてくる。
「もっかいお願いします!」
吉高がカメラからズレたのだ。
「もっかいお願いします!」
吉高の動きにカメラが追いつかなかったのだ。
「もっかいお願いします!」
車が来たのだ。
こうして「もっかいお願いします!」を10回ほど繰り返した。まだ1カット目である。ちなみに照明は無くとも雷が完全にその役割を果たしていた。そろそろOKにしないと雨で普通にカメラが壊れる。「さっき撮った中からいいの使おう」と諭し、カメラを屋根のある場所に移動させた。敷地内に入ると団地住人に怒られるとか、そんな次元の雨ではないのである。どうぞ怒ってくれ状態なのである。2カット目は、俺の独断により屋根の下から引きで撮ることにした。完璧にCGとしか思えない雷の落ちる空をバックに歩く吉高。
「もっかいお願いします!」吉高が破壊する予定の車を追い越したのだ。お前今まで何に向かって歩いてた?
引きを撮り終えると、いよいよ車をバットで破壊するカット。助手席の窓をバットで割るのを運転席側から撮るのだが、ガラスが俺とカメラに降ってきてはかなわんと、運転席側の窓を開けて道にカメラを立たせようとした。パワーウィンドウを開けるため、中野くんがエンジンをかける。かからない。かける。かからない。車のエンジンは、このタイミングで完全にぶっ壊れたのだ。中野くんは嵐を呼ぶ男であるのだ。
一旦屋根の下に避難し、中野くん一人でエンジンをかけようとする。もちろんかからない。撮影終了である。こんな雨は今後いつ降るかわからないので、今まで撮ったカットも使えないのである。
エンジンを諦めた中野くんは車内で一人、ハンドルに崩れ落ち、ハンドルを叩いた。
「ぷァっ」
クラクションが鳴った。一瞬驚くバカは自分が鳴らしたと気付く。しかしその悲しい高音も、雷の轟音にかき消されていた。そして中野くんと車を放置し、我々は吉高の車で一軒家に戻った。中野くんはその後JAFを呼んだという。
俺の40万のカメラ、吉高の私物の服、マスオカの思い出のグローブ、全てずぶ濡れである。
そしてずっと車に居た吉高の友人に至っては、お前なんしに来た?という状況であった。
誰もが忘れていたので責められないが、マスオカのグローブは小道具として道に置いたまま忘れて帰った。
雨でハイになっているのか、吉高の友人以外は皆テンションが高い。飯に行こうとなったが、夜勤明けからその流れだった俺はあまりに眠く、誘いを断り、一人でソファに腰掛け火のついたタバコをくわえ、その瞬間寝た。不意打ちの放火犯になれなかったことを悔やんだのは、後にも先にもこの時だけだろう。
後日日中、マスオカがグローブの所在を中野くんに聞いたところ、その時点でようやくバカは思い出のグローブをスラムの道に忘れていることに気付いた。マスオカがすぐに現場に取りに行くよう怒ったところ、「わかったなり」と、中野くんは自分の部屋に戻っていき、出てこなかったという。
こうして撮られたのが、シナリオの元にする「暴風雨の夜道を歩いている男の映像」である。以下の画像は実際のものである。

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