2014年1月12日日曜日

殺し屋1(2001)

レンタル開始時高校生だったが、R18のこの作品を、ワキガだが巨乳の中学の先輩(武田さん)が店番をしてる隙に貸してくれて、自分の感性と人生に多大なる影響を与えた。
月一本撮ってんのかっていう頃の三池監督が、牛頭(2003)など、幾多の糞ギャグ映画の中から、この作品とビジターQ(2001)を生み出した。そしてその二本は、日本の定義を新しく世界に植え付けたと言えるのではないか。この日本、いや二本を超える、不条理でアバンギャルドな邦画がこれ以降あっただろうか。まぁ冷たい熱帯魚(2010)とかあるけど。キル・ビル(2003)の出演者の一部は、この作品ほぼそのままの役柄で出演していることからも、特殊な海外人気が伺える。ウルヴァリンSAMURAI(2013)やたけし映画から見ても、日本のエンタメの活路は893映画にあるのかもしれない。

内容としては、殺し屋のイチを抱える歌舞伎町のハイエナ的グループが、どMの変態率いる893グループを潰していく抗争のなれのはてを、ハードなSMと幼少期のトラウマをベースにして描いていく。特筆すべきは、不安定なイチの人殺しの原動力である「トラウマ」だと思っていた出来事は、事実だったのか?そしてSMで感じる痛みさえも、愛でなくただの「体の不具合を知らせる防衛の機能」でないのか?真実を無視していちいち幻想を作り上げないとやっていけない人間の悲しさを描くところである。

原作マンガのファンが多いため嫌う人も居るが、個人的には原作よりも勝っていると思う。マンガをマンガたらしめる、キャプテン翼の実況のような、全部説明してくれる人が居ないという点でわかりにくいし、記憶に残る暴力描写はいいとこが削られている。しかしその点が排除されたことで非情にオシャレであるし、山本英夫の原作はドヤ感が強いが、三池作品にはそれが一切無い。それは監督のどの作品にも言えることで、それゆえ実質日本で一番映画を作れているのだと思う。

世に出たばかりの大森南朋にはオナニーのイメージがつきまとい、最近まで気持ち悪かったし、松尾スズキや塚本晋也もこれで知ることができた。手塚とおる、渋川清彦、何より浅野忠信の「何で垣原こんな棒読みなん?そして金髪なん?」という衝撃。この映像ばえするやつらの顔のアンサンブル。イチが持つ唯一無二の特殊な武器に、北村道子[双生児(1999)、恋の門(2004)]の衣装。汚い都会の映像が、暴力と笑いを最高に引き立てる。映画の法則や流行を無視した山本英夫(原作者と漢字まで同姓同名である)の手持ちカメラは、松本人志の大日本人(2007)でも活かされた。
脚本の佐藤佐吉が、これ以降ダメな方向に進んでしまい、東京ゾンビ(2005)で邦画に迷惑をかけたことだけ悔やまれる。ハゲ!

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